-
しっぽの長いヨークシャテリアのチャコ・・・
1999年、9月、あと1週間もすれば、やっと1歳になるところだったチャコは、
私の腕の中で、眠るようにお空のお星様になってしまいました。先天性の腎不全でした。
チャコがどんなに頑張って、12ヶ月という短い一生を、
精一杯に生きてきたか・・・
ただただ、お話したいと思います。目次
1章 チャコとの出会い
2章 チャコとの生活
3章 チャコの発病
4章 チャコ、よく頑張ったね
5章 メルモとの出会い
6章 最後に
7章 チャコへ
2000.01.01
-
チャコとの出会い
獣医師である私は、1998年9月、あるブリーダーさんから
一匹のヨークシャテリアをお預かりしました。
それは、生まれたばかりの仔犬でした。その仔は、母犬が死んでしまい、兄弟も力尽きてしまった中で、
何日もミルクが飲めなかったにもかかわらず、
一人ぼっちで頑張っていました。体重は、生まれた時よりも減ってはいたものの、
一生懸命に、生きようとしていました。ねずみのミイラのようになってしまっているその仔を見たとき、
正直”もうだめかな?”と、思いつつ
とりあえずやるだけの事はやってみようと、お預かりしました。仕事とはいえ、哺乳中の仔犬を預かる事は、
心身ともにかなりきつい仕事です。と、いうのも・・・
身の面では、昼間は普通に仕事をしながら、夜中は何度も授乳を
しなくてはなりません。・・・かなり寝不足になります・・・心の面では、もともと感情移入が激しい性格で、
少しでも一緒にいると情がわいてきて、
いざ飼い主さんへお返しする時に、
涙なみだのお別れ式をしなければならないのです。とにもかくにも、お預かりする事は決まってしまったので、
なるべく悲しい思いをしなくても良いように、できるだけ
無心で、感情移入をしないように、お預かりする事になりました。寝不足の生活が始まりました。
始めは全然飲んでくれなかったミルクも、日増しに吸う力が強くなり、
何とか哺乳瓶から吸えるようになったのは、3~4日後の事でした。吸えるといっても、一度に吸える量はまだまだ普通の仔犬の3分の1ぐらい
です。という事は、普通の仔犬より、3倍の授乳回数が必要という事です。1週間がすぎ、何とか体重が生まれた頃ぐらいまでに戻り、
ねずみのミイラから、少し犬らしくなってきました。その頃から、かなり愛着が湧いてきてはいたものの
その気持ちを打ち消そうと、必死に無心を装っていました。
お気に入りのぬいぐるみさんとチャコ夜中に呼吸が乱れ、酸素吸入をしたり、発熱したりと、
危ない事はあったのですが、そうこうしているうちに月日がたち、
もう、離乳食が食べられるぐらいにまで育っていました。もう、まじかに迫っている仔犬との別れにおびえつつ、
毎日生活していた私に、良いか悪いかある知らせが・・・“その仔犬は引き取れない”と・・・
と、いうのは
その仔犬は、後肢に重大な疾患があり、売り物にはならないとのこと・・・専門的に言うと、両後肢とも、重度の膝蓋骨脱臼で、
歩く事もできなければ、立つことだってできません。その他、もろもろの理由から、めでたくも?!その仔犬は、私の
家族となる事になったのです。2000.01.01
-
チャコとの生活
さて、我が家のコになったのだから、名前を付けなくては・・・
当時、我が家には、シェルティのあいちゃん(享年18才)、
野良出身の猫のまりあ、知能障害児(犬?)のラブラドールのメイ、
私と同じお誕生日の、猫のサブ&はるみがいました。おりしも、雅子妃殿下のご実家のヨークシャテリアが、よくブラウン管に
登場しているときで、あやかろうと思い、
“ショコラ”と名付けました。が・・・知らぬ間にショコラがチョラ→チャラ→チャコと、
次第に変化していき、すっかりその仔犬は、”チャコ”と皆に
呼ばれるようになっていました。こうして、チャコとの生活がスタートしました。
チャコは賢く、忍耐強い仔犬でした。
私の笑った顔がわかるのでしょうか?
自分も同じ顔をしようと、私が笑うと、チャコも笑いました。
手足もしっかりしてきて、前足だけで、歩く事まで
できるようになりました。12月・・・元気もあるし、立つ事だけでもできるようにと、
膝蓋骨の手術をしてみようかという事になりました。
その際に、(今まで何度となく、話題には上がっていたのですが・・)
しっぽはどうしようか?と・・・普通、ヨークシャテリアや、プードルなどは、
生まれてすぐに断尾をします。チャコは、普通のヨーキーが断尾をする頃には、
生きるか死ぬかでそれどころではなく、
気づいたら、しっぽは長いままだったのです。同じ麻酔をかけるのだったら、ついでに断尾もしようか?と・・・
実は、私的には、結構長いしっぽが気に入っていました。
“今まで頑張って生きてきました”という、
証のような気がして・・・結局、飼い主の私の意見が通り、
しっぽの長いヨークシャテリアが、誕生しました。
ページトップへ△
チャコの後肢膝蓋骨の手術の日がやってきました。仕事柄、手術は慣れてはいるものの、やはり自分の仔は、
少し勝手が違います。各種検査を終え、手術開始となりました。
手術は、大、大、大成功、
2日もすると、後ろ足を使っても、立ったり、歩いたり
1週間もすると、走る事さえできるようになりました。が・・・・この手術をきっかけに、
私には、とてつもない不安の影が
つきまとう事になったのです。手術前検査の血液検査の結果です。
食欲も旺盛で、当然元気も満々、
手術をするには、一般状態は言う事ない状態であり、
血液検査結果も、手術が出来ないほどの値ではなかったのですが、
クレアチニンとBUNの値が高い・・・それらは、腎臓に疾患があると高くなってくる値です。
こんなに元気な仔犬で高くなる事は、まずありません。足が使えるようになって、
日増しにおてんばになっていくチャコをみながら、
獣医師としてではなく、普通のチャコの飼い主として、『怖い事には触れたくない』
状態で、心の中にとてつもない不安を抱えながらも、
毎日、チャコと幸せに過ごしていました。注:
仔犬でクレアチニンとBUNが高いということは(値にもよりけりですが)
先天性の腎臓疾患が関与している場合があります。
値が高くならないようであれば、食事療法でコントロールできる場合も
ありますが、高くなるようであれば、死を意味します。
チャコ&サブ チャコ&はるみ(チャコ笑ってる)2000.01.01
-
チャコの発病
それこれしているうちに、チャコの毛は子供の黒い毛から、
それはそれはきれいな、シルバー色に変わってきて、
毛も伸び、頭の上で縛り、リボンまでつけれるほどになりました。春になり、近所の公園にピクニックに行ったり、
ゴールデンウィークには遠出をして、岐阜の公園にも行きました。毎日、毎日がとても幸せでした。
けれど、いつどんなときでも、私の心の中には
大きな、大きな不安がありました。“この幸せは続けていけるのかしら・・・?”
けれど、チャコは、そんな私の不安を吹き飛ばすように、
いつも元気いっぱい、楽しそうでした。そんなある日・・・・
忘れもしない、8月31日・・・
私はその夜、スポーツクラブへ行くために、
実家にチャコを預けていました。“遅くなっちゃた!!早くチャコを迎えに行こ!!”
と、すばやく着替え、携帯電話の着信履歴を見た瞬間、
私の心臓は高鳴りました。家からの電話・・・
家からの電話なんて、良くある事なのに、なぜか心臓が鳴る。
“チャコに何か?”
不安な気持ちで急いで家に向かいました。
しっかり立てるようになったころのチャコ家に着き、母の一言・・・
“チャーちゃん、なんか様子が変よ!!”
チャコはというと、いつもと変わらず、笑いながら飛びついてきました。けどやっぱり、どこかおかしい・・・
少し元気がないし、熱もある。夜も遅くはなっていたものの、
当時勤めていた病院の院長先生をたたき起こして、検査をしました。恐れていた結果でした。
今まで元気にしていた方が不思議なくらいの結果でした。
専門家の私としては、その結果が何を意味するのか、
知りたくなくても分かってしまいます。その日からチャコは、坂を転がるように
悪くなっていきました。食欲もどんどんなくなり、ひっきりなしに
吐き気に襲われているチャコ・・・
もう、私には、死んでしまう事はわかっています。でもできるだけ、吐き気を抑え、
少しでも永く生きていてほしかった・・・1分、1秒がとても大切でした。
東洋医学的なことだけではなく、
西洋医学、さらにできる事は何でもしようと、
ある方にお願いして、お祈りの治療までしました。他人から見れば、ただの犬なのに・・・
チャコのために、私のために、
本当にいろんな方々が力を貸してくださいました。9月9日、もう、何をやっても食べる事ができなくなってしまいました。
点滴をしても、注射を打っても、吐き気は止まらない。でも、まだチャコは笑う・・・
私と目が合うと、
まるで元気なときと変わらないように喜ぶ・・・・。
ページトップへ△
9月10日、貧血がひどく、起き上がる事ができなくなってしまいました。
一時的にでもということで、輸血をしました。輸血後、チャコはとても元気になって、牛乳が飲めました。
また、明日、輸血をしようと、少し嬉しい気持ちになりました。ここしばらく寝ていなかった私は、
その夜、少し寝入ってしまいました。9月11日、早朝、チャコがもがいている・・・
“あ~チャコが死んじゃう・・・”
家に電話をして、すぐにチャコを家につれて帰りました。
もう、尿毒症の末期症状です。これ以上痛い思いをさせたくなかったため、
注射など治療をするのは、もうやめました。その後、何度も何度も、発作が起こりました。
発作のたびに、もうちょっと頑張れ!!
と、励ましつづけていた私は、
12時の発作のときに、チャコに言いました。『もう、いいよ!チャコ、楽になろう!今まで、ありがとう!』
リボンもつけられるようになったチャコ2000.01.01
-
チャコ、よく頑張ったね
その少しあと、チャコのちいさな心臓は、
私の腕の中で、動かなくなりました。
9月11日、正午を少しすぎた頃でした。朝の6時から死んでしまうまでの6時間、
私はずっと、チャコを抱っこしていました。お手洗いに行くときも、どんなときも、ずっとずっと・・・・
そんなにも長い間、生き物を抱っこしていた事は、
後にも先にも、あの時だけです。その後の事は、意識がはっきりしていません。
とにかく、チャコを手放す事はできませんでした。9月とはいえ、まだまだ暑い時期です。
すぐに身体は痛んできます。
けれど、どうしても私は、手放す事ができませんでした。結局私は、暑い中2日間もチャコの遺体と過ごしました。
少しずつ形の変わっていくチャコをみながら、
もうこれ以上、私のわがままに、チャコをつき合わせてはいけないと、
火葬をする事に決めました。戻ってきたチャコは、それはそれは小さくなっていました。
“もうこれで、苦しい思いはしなくてもいいね!チャコ”
小さくなってしまったチャコに、
新鮮なお水をお供えしました。その日からの私の生活は、大変なものでした。
完全なる”ペットロス”です。当然、仕事になんか出かけられませんし、
日常の生活ですら、まともにできませんでした。どうやって生きていたのか分からない日々がすぎ、
何とか、仕事にも出かけられるようになりました。と・こ・ろ・が・です・・・
ヨーキーを診ることができません。ヨーキーが来るや否や、泣くは、わめくは、
大変な事になっていました。2000.01.01
-
メルモとの出会い
いざ、気にしてみると、ヨークシャテリアは結構多いのです。
ヨーキーを診るたびに泣かれていたのでは、
当時勤めていた病院もたまったもんではなかったと思います。そんなときにやって来たのが、メルモです。
チャコのことを、想い出に出来ずにいる私には、
新しい犬、特にチャコと同じ犬種を迎える事は、
とても不安でした。どうしよう・・・
などと考えている暇はありませんでした。
その仔は、たった400gしかない身体で、息をしている。
心臓も動いている。確かにこの仔は、生きている。
以来、メルモはチャコと違って、
何一つ辛い事も経験せず、
健康に、元気に、育ってきてくれました。1kgちょっとと、体は超小柄ですが、
根性だけは、どんな大きなワンちゃんにも負けていません。
トナカイさんとメルモ2000.01.01
-
最後に
私は、獣医師であるにもかかわらず、
完全なる”ペットロス”を経験しました。経験した。と過去形ではなくて、
実際はまだ、私はチャコの死から立ち直っていません。チャコのことを、想い出にはできていません。
メルモは、それはそれはかわいらしく、
今の私には、なくてはならない存在です。
けれど、メルモとチャコとは違います。チャコはチャコ、メルモはメルモ・・・
実際、今回、チャコの事について、書き綴りながら、
またどれほどの涙を流したのか、計り知れません。けれど、あえてチャコの事について触れる事によって、
少しでも私の中で、チャコの死を認めることができるのではないかと、
つらい思いをして、文章にしてみました。ペットロスについて、最近いろいろ述べられています。
けれど、何を読んでみても、誰に助けを求めてみても、
結局は自分で立ち直らなくてはいけません。死を認められないのだったら、認めなければいいし、
忘れられないのだったら、忘れなければいい・・・
けれど、現実問題、愛するものは死んでしまっても、
私たちは生きている。いつかまた会えるその日までは、
生きていかなくてはいけない。そのためにどうすればいいのかと言う事は、
人それぞれ違うはずです。
これと言った方程式なんか、あるのでしょうか?私は、まだまだ時間はかかると思うけれど、
少しずつでも、チャコの死を認め、
思い出に変えていければいいな!と、思っています。そして、いつかは来るであろう、メルモの死も、
受けとめられるような人間にならなくてはいけないな!と、2000.01.01
-
チャコへ
チャコ・・・
あなたがいなくなって、あなたと過ごした以上の月日が過ぎました。
あなたを失った悲しみと、同じくらいの悲しみも経験しました。
生きているのが辛くて、辛くて、悲しくて、悲しくて
あなたの元へ行ってしまおうかと思ったこともありました。
でも、メルモがいたから頑張れました。
あのこがいなかったら、すべてに負けてしまっていたかもしれません。
メルモと出会えたのは、あなたのおかげです。
本当にありがとう。
チャーちゃん、お姉ちゃん頑張るよ!
この世界では、たったの12ヶ月しか一緒にいられなかったけど、
いつか、また一緒に暮らそうね!!
そのときまで何があっても頑張るから、見守っていてください。
チャコ!!12ヶ月間、本当にありがとう!!
チャコとあいちゃんが お仏壇の中のチャコとあいちゃん
眠っている納骨堂2000.01.01