ブログ

  • HOME
  • ブログ
  • (Page 11)
  • dr

    『うちの子が癌になりました。 』 No.3 2007.10月

     私の命より大切なメルモ(ヨークシャテリア・7歳)が癌になりました。 
                       
     組織検査の検査結果を見た瞬間、私の頭は真っ白になりました。                    
     「鼻腔腺癌」。メルモの病名です。                    
     鼻の穴の奥の方にできる悪性の腫瘍で、進行すると顔面の変形や脳への浸潤が起こってくる とても怖い腫瘍です。無治療3~6ヶ月、放射線治療をしても1年ぐらい・・・。                    
                         
     「うちの子がどうして?何か悪い事したの」。身内の者が病気になると、誰もが思う事なのでしょう。                    
     1週間ぐらいは現実を受け止められませんでした。ただただ、眠っているメルモを見ては、歩いているメルモを見ては、外出していてもメルモのことを考えては、涙なみだの毎日・・・。                    
     でも、泣いていても癌は進行するばかりです。治療しなくては!                    
                         
     癌には色々な種類がありますが、メルモの罹っている鼻腔腺癌は放射線療法以外効果的な 治療法はありません。やるしかない!!         
               
     しかし、放射線は人の場合と同様、正常な組織にも影響するため、副作用も起こります。                    
     それ以上に動物さんは人と違ってじっとしている事が出来ないため、放射線を当てる場合には  全身麻酔が基本です。それも、週に3~5回(総回数は癌種によりけり)と当てる必要があるため (根治的治療の場合)、相当体に負担が掛かります。最悪の事が起こり得る可能性だって ゼロではありません。                    
                         
     私のわがままな感情(メルモに生きていてもらいたい)だけで、結局メルモに辛い思いを させるのではないか?。いくら考えても結論はでません。最終的には「メルモに聞いてみよう!」と。                    
     メルモは私の顔をじっと見て「私もお姉ちゃんともう少し一緒にいたい・・・。麻酔も治療も 頑張れる!」と確かに私に言いました。と、いうのは誇張しすぎですが、メルモには生きる 力がまだまだあるように感じました。皆さんも手術や治療の選択をする場合、動物さんに 尋ねてみてください。動物さんは言葉でお話しすることは出来ませんが、心の通じている 飼い主さんには、動物さんの気持ちはわかるはずです。                    
                         
     話は反れましたが、メルモの放射線治療(計44Gry、総回数11回)は無事終わりました。                    
     
     1~3日置きに三重の南動物病院まで通い、麻酔をかけ、放射線を当てと、1kgちょっとと小さな体で頑張ってくれまし た。心配されていた副作用も、こんなに出ない子は珍しいとおっしゃっていただいたくらい 出ませんでしたし、麻酔後の回復も信じられないくらい早く、家に着くや否や、ご飯、ご飯と・・・。                    
     このように今回の放射線治療は無事すみましたが、メルモの癌は治ることはありません。 いつか再発します。それが3ヶ月先なのか、3年先かはわかりませんが、メルモが生きてくれて いる間、後悔のない生活を送って行きたいと思っています。とは言っても仕事をしているため、四六時中一緒にいる事は不可能ですが、一緒に過ごせる時間を大切に過ごしたいです。                    
                         
     私たちのこの忙しい日常、誰が動物さんの鼻の皺一つ一つをじっと見たり、髭を一本一本 観察したりなどする時間があるでしょうか?                    
     でも病気というものは不思議なもので、健康な日常生活では考えられないような、ゆっくりと 流れる穏やかで、幸せで、温かい、充実した時間も作り出してくれるものなのです。                    
                         
     いつかメルモがいなくなってしまった時、皺から髭からすべてを思い出せるように・・・。                    
                         
     ご自分のペットが癌になってしまったら・・・?。                    
     まず、泣けるだけ泣いて、涙は涸れないことを悟り、次に相手(癌)を知りましょう。                    
     倒せる相手なのか?倒せない相手なのか?             &nbs
    p;      
     そして、その動物さんにはどのような方法がベストなのか?                    
     ご家庭の事情、動物さんの状態、年齢など、一筋縄には行きませんが、一緒に考えていきましょう。                    
                         
                         
     最後に。                    
     今回メルモの癌の診断、検査、治療などにおいて、獣医師を忘れてパニックを起こしている私に ご助言、ご協力してくださった先生方、手紙、メール、電話などで励まして応援してくれた友達、2時間もかかる三重の動物病院まで、メルモを何度も連れて行ってくれた家族、本当にありがとう ございました。皆様の期待に答えるようメルモはまだ頑張ってくれるはずです。                    
     本当に、本当に、ありがとうございました。                    
                         
     「私、10歳までは頑張るよ!まだまだお姉ちゃんと過ごしたいから・・・。    By メルモ」                    

    2007.10.01

  • dr

    『動物さんを捨てないで!!』    No.2 2007.9月

      当院の患者さんである小澤さん(動物大好きの素敵なご家族です)から、「これ読んでみて!」と、1冊の本を寄贈して頂きました。
                       
     「どうぶつたちへのレクイエム」(日本出版社)。    
                   
     人間に捨てられ、動物収容施設で生命を絶たれていったどうぶつたちの、誇り高き最期の肖像アルバムです。  
                     
      「見れば悲しいに決まっている写真をなぜわざわざ見る必要があるの?」と、皆さん思われることでしょう。私もそう思いました。ただでさえ、動物さんが亡くなったり、かわいそうな話の本、映画(南極物語なんて小学生のとき母に連れて行ってもらって以来、  幼いながらにもこれからの人生何があっても見るものか!と誓いました。いい映画ですが・・)                   
    など絶対に見ませんし、話を聞くのだけでも嫌です。     
                  
     その私がなぜこの本に目を通せたか?それは小澤さんの一言。「現実を知らなくては。」                   
     思い切ってその夜(泣くに決まっているため、仕事が終わった後に)恐る恐る本を開きました。                   
     なんて辛い現実でしょうか。犬16万4209頭、猫27万5628頭。一年間に殺処分された命 だそうです。そこに収容される理由は様々です。捨てられた動物さんだけでなく、迷い動物、最期を看取るのが嫌だから、年をとって手がかかるから、妊娠したからなどの理由で、持ち込まれることもあるそうです。                   
                        
     話が脱線しますが、私には心の底から後悔している出来事があります。 
                      
     もう4、5年も前のことです。ある方が、道で倒れているといって1頭の猫を連れてこられました。                   
     交通事故です。ただ、その猫さんは事故による顔面骨折だけでなく、かなりの年齢であり、尚且つ、長年ノラ生活をしてきたような猫さんで、治療には困難を伴うものと予想できました。                   
     連れてこられた方は、純血種の猫を多数飼われている当院の患者さんであり、仕事上でも大変お世話になっていた方であったため、出来る限りの事はしようと意気込んでいたのは 私だけで、治療費も払われることもなく、「先生に迷惑がかかるから」と、3日後に 連れて行ってしまいました。その後、その方から「山に捨ててきた。」とのお言葉・・・。                   
     あの猫さんを苦しめて殺してしまったのは私です。目も見えず、介助無しで食事も 取れない状態で、生きる事はできません。苦しんで亡くなった事でしょう・・・。                   
     どこで間違えてしまったのか?                   
     言い方は乱暴ですが、病院に連れて来られた時点で飼い主さんと同じです。                   
     以後の治療をどうするか、「私は知らないわ」ではいけません。  
                     
     飼い主さんのいない動物さんたちに出来る限りの事をしてあげたいのは山々ですが、動物病院はボランティアではありません。                   
     ただ私を信じて、出来る限りの治療を選択してください。お願いします。                   
     (開院して5年すぎ、今ではスタッフも6人となり忙しくなりましたが、当時は診察も院内動物も少なかったため、あの猫さんを引取るのも可能だったのではないかと後悔しています。)                   
                        
     かなり脱線しましたが、アルバムの中の子達の目と、あの時の猫さんの目が同じなのです。                   
     何かを訴えるような、且つ生きる事をあきらめている目・・・。                   
     私たちにできる事は何なのでしょうか?                   
     まず、現実を知る事です。                   
     ご来院の際には、アルバムを手にとってごらん下さい。                   
     小さな命を守るために、私たちにできる事、少しずつから始めてみましょう。                   
                        

    2007.09.01

  • dr

    『熱中症にご用心!!』        No.1 2007.8月

     先日、2ヶ月の仔犬の頃から診させていただいていたワンちゃんが亡くなりました。                   
     まだ、5歳。熱中症でした。                   
     そのワンちゃんは少しでも目が痒いといっては病院に、少しでも腰が痛いといっては、病院にと、それはそれは大切に、愛されて育てられていました。 
                      
     その1週間前も1頭熱中症で亡くなりました。その子も、お兄ちゃんが大切に 大切に育てていたワンちゃんでした。亡くなった後も、お兄ちゃんは毎日食事を お供えしているそうです。    
                   
     2頭とも運び込まれたときには意識がありませんでした。         
              
     なぜこんなことになってしまったのでしょう?                   
     今年が始めての夏ではありませんし去年まで、いいえ今年も暑さには充分気をつけていたはずです。                    
     1シーズンに何頭か熱中症の動物さんが運び込まれます。  
                     
     真夏の炎天下、フィラリア投薬のためにワンちゃんを歩かせて来院してしまった飼い主さん、若い飼い主さんには、何で私があんなにも怒ったのかわからなかったかも知れません。待合で 呼吸速拍、虚脱、嘔吐、呼吸困難と状態が悪くなっていきました。その場が動物病院であった ため手早い処置で、半日入院で元気に帰っていきました。処置が10分遅れていたらと考えると、 今でも恐ろしくなります。     
                  
     このように熱中症は時間、体温がすべてで、ある点を超えてしまうと私たちの力ではどうすることも出来ません。冷却処置、輸液、酸素吸入、血漿輸液などあらゆる手を尽くしても 「必ず治します。」なんてことが出来ないのです。
                       
     どうすればいいのでしょうか?
     それはまず予防。暑さから動物さんを守ってあげてください。                   
     まだ、「梅雨だから」、「涼しくなったから」、「少しの間だから」、「毎年大丈夫だから」、 なんてことはありません。いつどんなときでも気をつけてください。                   
     当院で熱中症で亡くなってしまった子はこの5年で2頭です。壮絶な亡くなり方を前に それ以上何も出来なく、本当に、本当に辛いです。                   
     もう絶対にこれ以上増やしたくありませんし、亡くならないまでも動物さんがつらい思いを するのを見たくはありませんし、悲しんでいる飼い主さんを前に、私の怒りをどこに ぶつけていいのかもわかりません。                   
     ワンちゃんだけでなく、猫さんも、ウサギさんも、フェレットさんも、人間?も気をつけましょう。                   
     いつも大丈夫だからなんてことはありません。毎回気をつけてください。 
                      
     どんな時でも「熱中症にご用心!!」                   
                       

    2007.08.01

  • episode

    しっぽの長いヨークシャテリアのチャコ・・・

    1999年、9月、あと1週間もすれば、やっと1歳になるところだったチャコは、
    私の腕の中で、眠るようにお空のお星様になってしまいました。

    先天性の腎不全でした。

    チャコがどんなに頑張って、12ヶ月という短い一生を、
    精一杯に生きてきたか・・・
    ただただ、お話したいと思います。

    目次
    1章 チャコとの出会い
    2章 チャコとの生活
    3章 チャコの発病
    4章 チャコ、よく頑張ったね
    5章 メルモとの出会い
    6章 最後に
    7章 チャコへ
     

    2000.01.01

  • episode

    チャコとの出会い

    獣医師である私は、1998年9月、あるブリーダーさんから
    一匹のヨークシャテリアをお預かりしました。
    それは、生まれたばかりの仔犬でした。

    その仔は、母犬が死んでしまい、兄弟も力尽きてしまった中で、
    何日もミルクが飲めなかったにもかかわらず、
    一人ぼっちで頑張っていました。

    体重は、生まれた時よりも減ってはいたものの、
    一生懸命に、生きようとしていました。

    ねずみのミイラのようになってしまっているその仔を見たとき、
    正直”もうだめかな?”と、思いつつ
    とりあえずやるだけの事はやってみようと、お預かりしました。

    仕事とはいえ、哺乳中の仔犬を預かる事は、
    心身ともにかなりきつい仕事です。

    と、いうのも・・・

    身の面では、昼間は普通に仕事をしながら、夜中は何度も授乳を
    しなくてはなりません。・・・かなり寝不足になります・・・

    心の面では、もともと感情移入が激しい性格で、
    少しでも一緒にいると情がわいてきて、
    いざ飼い主さんへお返しする時に、
    涙なみだのお別れ式をしなければならないのです。

    とにもかくにも、お預かりする事は決まってしまったので、
    なるべく悲しい思いをしなくても良いように、できるだけ
    無心で、感情移入をしないように、お預かりする事になりました。

    寝不足の生活が始まりました。

    始めは全然飲んでくれなかったミルクも、日増しに吸う力が強くなり、
    何とか哺乳瓶から吸えるようになったのは、3~4日後の事でした。

    吸えるといっても、一度に吸える量はまだまだ普通の仔犬の3分の1ぐらい
    です。という事は、普通の仔犬より、3倍の授乳回数が必要という事です。

    1週間がすぎ、何とか体重が生まれた頃ぐらいまでに戻り、
    ねずみのミイラから、少し犬らしくなってきました。

    その頃から、かなり愛着が湧いてきてはいたものの
    その気持ちを打ち消そうと、必死に無心を装っていました。


    お気に入りのぬいぐるみさんとチャコ

    夜中に呼吸が乱れ、酸素吸入をしたり、発熱したりと、
    危ない事はあったのですが、そうこうしているうちに月日がたち、
    もう、離乳食が食べられるぐらいにまで育っていました。

    もう、まじかに迫っている仔犬との別れにおびえつつ、
    毎日生活していた私に、良いか悪いかある知らせが・・・

    “その仔犬は引き取れない”と・・・

    と、いうのは
    その仔犬は、後肢に重大な疾患があり、売り物にはならないとのこと・・・

    専門的に言うと、両後肢とも、重度の膝蓋骨脱臼で、
    歩く事もできなければ、立つことだってできません。

    その他、もろもろの理由から、めでたくも?!その仔犬は、私の
    家族となる事になったのです。

    チャコとの生活

    2000.01.01

  • episode

    チャコとの生活

    さて、我が家のコになったのだから、名前を付けなくては・・・
    当時、我が家には、シェルティのあいちゃん(享年18才)、
    野良出身の猫のまりあ、知能障害児(犬?)のラブラドールのメイ、
    私と同じお誕生日の、猫のサブ&はるみがいました。

    おりしも、雅子妃殿下のご実家のヨークシャテリアが、よくブラウン管に
    登場しているときで、あやかろうと思い、
    “ショコラ”と名付けました。

    が・・・知らぬ間にショコラがチョラ→チャラ→チャコと、
    次第に変化していき、すっかりその仔犬は、”チャコ”と皆に
    呼ばれるようになっていました。

    こうして、チャコとの生活がスタートしました。

    チャコは賢く、忍耐強い仔犬でした。

    私の笑った顔がわかるのでしょうか?

    自分も同じ顔をしようと、私が笑うと、チャコも笑いました。

    手足もしっかりしてきて、前足だけで、歩く事まで
    できるようになりました。

    12月・・・元気もあるし、立つ事だけでもできるようにと、
    膝蓋骨の手術をしてみようかという事になりました。
    その際に、(今まで何度となく、話題には上がっていたのですが・・)
    しっぽはどうしようか?と・・・

    普通、ヨークシャテリアや、プードルなどは、
    生まれてすぐに断尾をします。

    チャコは、普通のヨーキーが断尾をする頃には、
    生きるか死ぬかでそれどころではなく、
    気づいたら、しっぽは長いままだったのです。

    同じ麻酔をかけるのだったら、ついでに断尾もしようか?と・・・

    実は、私的には、結構長いしっぽが気に入っていました。
    “今まで頑張って生きてきました”という、
    証のような気がして・・・

    結局、飼い主の私の意見が通り、
    しっぽの長いヨークシャテリアが、誕生しました。
    ページトップへ△
    チャコの後肢膝蓋骨の手術の日がやってきました。

    仕事柄、手術は慣れてはいるものの、やはり自分の仔は、
    少し勝手が違います。

    各種検査を終え、手術開始となりました。

    手術は、大、大、大成功、
    2日もすると、後ろ足を使っても、立ったり、歩いたり
    1週間もすると、走る事さえできるようになりました。

    が・・・・この手術をきっかけに、
    私には、とてつもない不安の影が
    つきまとう事になったのです。

    手術前検査の血液検査の結果です。

    食欲も旺盛で、当然元気も満々、
    手術をするには、一般状態は言う事ない状態であり、
    血液検査結果も、手術が出来ないほどの値ではなかったのですが、
    クレアチニンとBUNの値が高い・・・

    それらは、腎臓に疾患があると高くなってくる値です。
    こんなに元気な仔犬で高くなる事は、まずありません。

    足が使えるようになって、
    日増しにおてんばになっていくチャコをみながら、
    獣医師としてではなく、普通のチャコの飼い主として、

    『怖い事には触れたくない』

    状態で、心の中にとてつもない不安を抱えながらも、
    毎日、チャコと幸せに過ごしていました。

    注:
    仔犬でクレアチニンとBUNが高いということは(値にもよりけりですが)
    先天性の腎臓疾患が関与している場合があります。
    値が高くならないようであれば、食事療法でコントロールできる場合も
    ありますが、高くなるようであれば、死を意味します。


     チャコ&サブ               チャコ&はるみ(チャコ笑ってる)

    チャコの発病

    2000.01.01

  • episode

    チャコの発病

    それこれしているうちに、チャコの毛は子供の黒い毛から、
    それはそれはきれいな、シルバー色に変わってきて、
    毛も伸び、頭の上で縛り、リボンまでつけれるほどになりました。

    春になり、近所の公園にピクニックに行ったり、
    ゴールデンウィークには遠出をして、岐阜の公園にも行きました。

    毎日、毎日がとても幸せでした。

    けれど、いつどんなときでも、私の心の中には
    大きな、大きな不安がありました。

    “この幸せは続けていけるのかしら・・・?”
    けれど、チャコは、そんな私の不安を吹き飛ばすように、
    いつも元気いっぱい、楽しそうでした。

    そんなある日・・・・

    忘れもしない、8月31日・・・

    私はその夜、スポーツクラブへ行くために、
    実家にチャコを預けていました。

    “遅くなっちゃた!!早くチャコを迎えに行こ!!”

    と、すばやく着替え、携帯電話の着信履歴を見た瞬間、
    私の心臓は高鳴りました。

    家からの電話・・・

    家からの電話なんて、良くある事なのに、なぜか心臓が鳴る。

    “チャコに何か?”
    不安な気持ちで急いで家に向かいました。


    しっかり立てるようになったころのチャコ

    家に着き、母の一言・・・
    “チャーちゃん、なんか様子が変よ!!”
    チャコはというと、いつもと変わらず、笑いながら飛びついてきました。

    けどやっぱり、どこかおかしい・・・
    少し元気がないし、熱もある。

    夜も遅くはなっていたものの、
    当時勤めていた病院の院長先生をたたき起こして、検査をしました。

    恐れていた結果でした。
    今まで元気にしていた方が不思議なくらいの結果でした。
    専門家の私としては、その結果が何を意味するのか、
    知りたくなくても分かってしまいます。

    その日からチャコは、坂を転がるように
    悪くなっていきました。

    食欲もどんどんなくなり、ひっきりなしに
    吐き気に襲われているチャコ・・・
    もう、私には、死んでしまう事はわかっています。

    でもできるだけ、吐き気を抑え、
    少しでも永く生きていてほしかった・・・

    1分、1秒がとても大切でした。

    東洋医学的なことだけではなく、
    西洋医学、さらにできる事は何でもしようと、
    ある方にお願いして、お祈りの治療までしました。

    他人から見れば、ただの犬なのに・・・

    チャコのために、私のために、
    本当にいろんな方々が力を貸してくださいました。

    9月9日、もう、何をやっても食べる事ができなくなってしまいました。
    点滴をしても、注射を打っても、吐き気は止まらない。

    でも、まだチャコは笑う・・・

    私と目が合うと、
    まるで元気なときと変わらないように喜ぶ・・・・。
    ページトップへ△
    9月10日、貧血がひどく、起き上がる事ができなくなってしまいました。
    一時的にでもということで、輸血をしました。

    輸血後、チャコはとても元気になって、牛乳が飲めました。
    また、明日、輸血をしようと、少し嬉しい気持ちになりました。

    ここしばらく寝ていなかった私は、
    その夜、少し寝入ってしまいました。

    9月11日、早朝、チャコがもがいている・・・

    “あ~チャコが死んじゃう・・・”

    家に電話をして、すぐにチャコを家につれて帰りました。
    もう、尿毒症の末期症状です。

    これ以上痛い思いをさせたくなかったため、
    注射など治療をするのは、もうやめました。

    その後、何度も何度も、発作が起こりました。

    発作のたびに、もうちょっと頑張れ!!
    と、励ましつづけていた私は、
    12時の発作のときに、チャコに言いました。

    『もう、いいよ!チャコ、楽になろう!今まで、ありがとう!』


    リボンもつけられるようになったチャコ

    チャコよくがんばったね

    2000.01.01

  • episode

    チャコ、よく頑張ったね

    その少しあと、チャコのちいさな心臓は、
    私の腕の中で、動かなくなりました。
    9月11日、正午を少しすぎた頃でした。

    朝の6時から死んでしまうまでの6時間、
    私はずっと、チャコを抱っこしていました。

    お手洗いに行くときも、どんなときも、ずっとずっと・・・・
    そんなにも長い間、生き物を抱っこしていた事は、
    後にも先にも、あの時だけです。

    その後の事は、意識がはっきりしていません。
    とにかく、チャコを手放す事はできませんでした。

    9月とはいえ、まだまだ暑い時期です。
    すぐに身体は痛んできます。
    けれど、どうしても私は、手放す事ができませんでした。

    結局私は、暑い中2日間もチャコの遺体と過ごしました。

    少しずつ形の変わっていくチャコをみながら、
    もうこれ以上、私のわがままに、チャコをつき合わせてはいけないと、
    火葬をする事に決めました。

    戻ってきたチャコは、それはそれは小さくなっていました。

    “もうこれで、苦しい思いはしなくてもいいね!チャコ”
    小さくなってしまったチャコに、
    新鮮なお水をお供えしました。

    その日からの私の生活は、大変なものでした。
    完全なる”ペットロス”です。

    当然、仕事になんか出かけられませんし、
    日常の生活ですら、まともにできませんでした。

    どうやって生きていたのか分からない日々がすぎ、
    何とか、仕事にも出かけられるようになりました。

    と・こ・ろ・が・です・・・
    ヨーキーを診ることができません。

    ヨーキーが来るや否や、泣くは、わめくは、
    大変な事になっていました。

    メルモとの出会い

    2000.01.01

  • episode

    メルモとの出会い

    いざ、気にしてみると、ヨークシャテリアは結構多いのです。

    ヨーキーを診るたびに泣かれていたのでは、
    当時勤めていた病院もたまったもんではなかったと思います。

    そんなときにやって来たのが、メルモです。

    チャコのことを、想い出に出来ずにいる私には、
    新しい犬、特にチャコと同じ犬種を迎える事は、
    とても不安でした。

    どうしよう・・・

    などと考えている暇はありませんでした。
    その仔は、たった400gしかない身体で、息をしている。
    心臓も動いている。

    確かにこの仔は、生きている。

    以来、メルモはチャコと違って、
    何一つ辛い事も経験せず、
    健康に、元気に、育ってきてくれました。

    1kgちょっとと、体は超小柄ですが、
    根性だけは、どんな大きなワンちゃんにも負けていません。


    トナカイさんとメルモ

    最後に

    2000.01.01

  • episode

    最後に

    私は、獣医師であるにもかかわらず、
    完全なる”ペットロス”を経験しました。

    経験した。と過去形ではなくて、
    実際はまだ、私はチャコの死から立ち直っていません。

    チャコのことを、想い出にはできていません。

    メルモは、それはそれはかわいらしく、
    今の私には、なくてはならない存在です。
    けれど、メルモとチャコとは違います。

    チャコはチャコ、メルモはメルモ・・・

    実際、今回、チャコの事について、書き綴りながら、
    またどれほどの涙を流したのか、計り知れません。

    けれど、あえてチャコの事について触れる事によって、
    少しでも私の中で、チャコの死を認めることができるのではないかと、
    つらい思いをして、文章にしてみました。

    ペットロスについて、最近いろいろ述べられています。

    けれど、何を読んでみても、誰に助けを求めてみても、
    結局は自分で立ち直らなくてはいけません。

    死を認められないのだったら、認めなければいいし、
    忘れられないのだったら、忘れなければいい・・・
    けれど、現実問題、愛するものは死んでしまっても、
    私たちは生きている。

    いつかまた会えるその日までは、
    生きていかなくてはいけない。

    そのためにどうすればいいのかと言う事は、
    人それぞれ違うはずです。
    これと言った方程式なんか、あるのでしょうか?

    私は、まだまだ時間はかかると思うけれど、
    少しずつでも、チャコの死を認め、
    思い出に変えていければいいな!と、思っています。

    そして、いつかは来るであろう、メルモの死も、
    受けとめられるような人間にならなくてはいけないな!と、

    チャコへ

    2000.01.01

TAGタグ

ARCHIVE月別アーカイブ

お問い合わせ

お気軽にお尋ねください。より良い診療の選択で大切な家族を守っていきます。

9:00~12:30 / 17:00~19:30
※土曜・日曜は12:30まで 
※水曜・祝日休診

※診察時間内であれば、受付でも、お電話でも予約可能です(FAX不可)。
診察券番号・飼い主様&受診動物さんのお名前・診察内容をお話しください。

pagetop